問題
四酸化二窒素の解離平衡
\[\text{N}_2\text{O}_4(g) \rightleftharpoons 2\text{NO}_2(g)\]
について、圧平衡定数 \(K_p\) を異なる温度で測定したところ、次のようなデータが得られたとします(単位なし、標準圧 1 bar 基準)。
| \(T\) (K) | 280 | 298 | 320 | 350 | 380 |
|---|---|---|---|---|---|
| \(K_p\) | 0.0335 | 0.148 | 0.7236 | 4.570 | 21.57 |
(1) ファントホッフの式
\[\ln K_p = -\frac{\Delta H^\circ}{R}\cdot\frac{1}{T} + \frac{\Delta S^\circ}{R}\]
に基づき、\(\ln K_p\) を \(1/T\) に対してプロットする「ファントホッフプロット」をRで作成し、lm()による線形回帰から標準反応エンタルピー \(\Delta H^\circ\) と標準反応エントロピー \(\Delta S^\circ\) を求めなさい。
(2) (1)で得た \(\Delta H^\circ\) を用いて、298 K における \(K_p\) を基準として、積分形ファントホッフの式
\[\ln\frac{K_p(T_2)}{K_p(T_1)} = -\frac{\Delta H^\circ}{R}\left(\frac{1}{T_2}-\frac{1}{T_1}\right)\]
により \(T=450~\text{K}\) における \(K_p\) を予測し、回帰直線から直接外挿した値と一致することを確認しなさい。
あわせて 298 K における標準反応ギブズエネルギー \(\Delta G^\circ = -RT\ln K_p\) を計算しなさい。
解答方針
ファントホッフの式は、\(\ln K_p\) を \(1/T\) の一次関数とみなせることを示しています。
この直線の傾きが \(-\Delta H^\circ/R\)、切片が \(\Delta S^\circ/R\) に対応するため、実験データを \(\ln K_p\) vs \(1/T\) にプロットして最小二乗回帰を行えば、\(\Delta H^\circ\) と \(\Delta S^\circ\) を同時に決定できます。
この考え方は、キルヒホッフの法則が「\(\Delta H\) の温度変化」を記述したのに対し、ファントホッフの式は「平衡定数の温度変化」を記述するものであり、両者はいずれも熱力学第二法則・ギブズエネルギーの関係式から導かれる関係にある式です。
# ------------------------------------------------------------
# ファントホッフの式:平衡定数の温度依存性
# N2O4(g) <=> 2NO2(g)
# ------------------------------------------------------------
R_gas <- 8.314 # 気体定数 J/(mol・K)
# 実験(仮想)データ
T_data <- c(280, 298, 320, 350, 380) # K
Kp_data <- c(0.0335, 0.148, 0.7236, 4.570, 21.57)
# ファントホッフプロット用の変数を作成
invT <- 1 / T_data
lnKp <- log(Kp_data)
df_vh <- data.frame(T = T_data, invT = invT, Kp = Kp_data, lnKp = lnKp)
print(df_vh)
# --- (1) 線形回帰による ΔH° と ΔS° の推定 ---
fit <- lm(lnKp ~ invT, data = df_vh)
print(summary(fit))
slope <- coef(fit)["invT"] # 傾き = -ΔH°/R
intercept <- coef(fit)["(Intercept)"] # 切片 = ΔS°/R
dH_std <- -slope * R_gas # J/mol
dS_std <- intercept * R_gas # J/(mol・K)
cat("=== 回帰結果から求めた熱力学量 ===\n")
cat(sprintf("ΔH° = %.1f kJ/mol\n", dH_std / 1000))
cat(sprintf("ΔS° = %.2f J/(mol・K)\n", dS_std))
cat(sprintf("決定係数 R^2 = %.5f\n\n", summary(fit)$r.squared)) T invT Kp lnKp
1 280 0.003571429 0.0335 -3.3962098
2 298 0.003355705 0.1480 -1.9105430
3 320 0.003125000 0.7236 -0.3235165
4 350 0.002857143 4.5700 1.5195132
5 380 0.002631579 21.5700 3.0713035
Call:
lm(formula = lnKp ~ invT, data = df_vh)
Residuals:
1 2 3 4 5
-6.051e-04 6.476e-04 1.757e-04 5.789e-05 -2.761e-04
Coefficients:
Estimate Std. Error t value Pr(>|t|)
(Intercept) 2.118e+01 2.270e-03 9329 2.72e-12 ***
invT -6.881e+03 7.262e-01 -9475 2.59e-12 ***
---
Signif. codes: 0 '***' 0.001 '**' 0.01 '*' 0.05 '.' 0.1 ' ' 1
Residual standard error: 0.0005465 on 3 degrees of freedom
Multiple R-squared: 1, Adjusted R-squared: 1
F-statistic: 8.978e+07 on 1 and 3 DF, p-value: 2.592e-12
=== 回帰結果から求めた熱力学量 ===
ΔH° = 57.2 kJ/mol
ΔS° = 176.09 J/(mol・K)
決定係数 R^2 = 1.00000回帰分析の結果、標準反応エンタルピーは \(\Delta H^\circ \approx 57.2~\text{kJ/mol}\)、標準反応エントロピーは \(\Delta S^\circ \approx 176.09~\text{J/(mol·K)}\) と求まりました。
\(\Delta H^\circ\) が正であることから、N₂O₄の解離反応は吸熱反応であることが確認できます。
また、N₂O₄1molからNO₂2molが生成し気体分子数が増加する反応であるため、\(\Delta S^\circ\) が大きな正の値をとることも、乱雑さが増大するという直感と整合しています。
決定係数 \(R^2 \approx 1.00000\) という、ほぼ完全な線形関係が得られています。
これは、\(\ln K_p\) と \(1/T\) の間に高い精度で直線関係が成立していることを示しており、この温度範囲(280〜380 K)では \(\Delta H^\circ\) を温度によらない定数とみなす近似が極めて良く成り立っていることを意味します。
言い換えると、この範囲内では反応物と生成物の熱容量差(ΔCp)による補正がほとんど無視できるほど小さいことが、統計的にも裏付けられた結果と言えます。
可視化(ファントホッフプロット)
library(ggplot2)
p_vh <- ggplot(df_vh, aes(x = invT, y = lnKp)) +
geom_point(size = 3, color = "steelblue") +
geom_smooth(method = "lm", se = FALSE, color = "firebrick", linewidth = 0.8) +
labs(
title = "ファントホッフプロット: N2O4(g) <-> 2NO2(g)",
x = expression(1 / T ~ "(K"^-1 * ")"),
y = expression(ln ~ K[p])
) +
theme_minimal(base_size = 13)
print(p_vh)(2) 積分形ファントホッフの式による外挿と回帰直線による外挿の比較
# --- 積分形ファントホッフの式による K(450K)の予測(基準: 298K) ---
T1 <- 298
K1 <- Kp_data[T_data == T1]
T2 <- 450
lnK2_integrated <- log(K1) - (dH_std / R_gas) * (1 / T2 - 1 / T1)
K2_integrated <- exp(lnK2_integrated)
# --- 回帰直線からの直接外挿 ---
lnK2_regression <- predict(fit, newdata = data.frame(invT = 1 / T2))
K2_regression <- exp(lnK2_regression)
cat("=== T = 450 K における Kp の予測 ===\n")
cat(sprintf("積分形ファントホッフの式による予測: Kp = %.3f\n", K2_integrated))
cat(sprintf("回帰直線からの外挿による予測 : Kp = %.3f\n", K2_regression))
cat(sprintf("両者の差: %.2e\n\n", abs(K2_integrated - K2_regression)))
# --- 298 K における ΔG° の計算 ---
dG_298 <- -R_gas * T1 * log(K1)
cat("=== 298 K における標準反応ギブズエネルギー ===\n")
cat(sprintf("ΔG°(298K) = %.2f kJ/mol\n", dG_298 / 1000))
# 検算: ΔG° = ΔH° - TΔS° の関係が成り立つか確認
dG_298_check <- dH_std - T1 * dS_std
cat(sprintf("検算(ΔH°-TΔS°から計算): ΔG°(298K) = %.2f kJ/mol\n", dG_298_check / 1000))=== T = 450 K における Kp の予測 ===
積分形ファントホッフの式による予測: Kp = 361.060
回帰直線からの外挿による予測 : Kp = 360.827
両者の差: 2.34e-01
=== 298 K における標準反応ギブズエネルギー ===
ΔG°(298K) = 4.73 kJ/mol
検算(ΔH°-TΔS°から計算): ΔG°(298K) = 4.74 kJ/mol積分形ファントホッフの式による \(T=450~\text{K}\) での予測値は \(K_p=361.060\)、回帰直線からの外挿による予測値は \(K_p=360.827\) となり、両者の差は \(2.34\times10^{-1}\) とごくわずかでした。
理論上は両者が完全に一致するはずですが、\(K_1\)(298 Kでの実測値)を用いる積分形の計算経路と、回帰直線全体から得られる係数を用いる外挿の計算経路がわずかに異なるため、丸め誤差程度の小さな差が生じています。
また、298 K における標準反応ギブズエネルギーは、実測の \(K_p\) から直接計算した場合 \(\Delta G^\circ=4.73~\text{kJ/mol}\)、回帰で得た \(\Delta H^\circ,\Delta S^\circ\) から \(\Delta G^\circ=\Delta H^\circ-T\Delta S^\circ\) より計算した場合 \(\Delta G^\circ=4.74~\text{kJ/mol}\) となり、両者はほぼ一致しました。
これは、回帰直線が実測データを高い精度で再現していることを裏付ける結果です。
考察
回帰から得られた \(\Delta H^\circ\approx57.2~\text{kJ/mol}\) は正であり、N₂O₄の解離反応が吸熱反応であることを示しています。
決定係数はほぼ1、各回帰係数の \(p\)値も5%を下回っており、実測データが直線関係に高い精度で従っていることが統計的にも裏付けられました。
\(T=450~\text{K}\) における \(K_p\) は、積分形ファントホッフの式による予測(361.060)と回帰直線からの外挿(360.827)でほぼ一致し、その差(約0.23)は計算経路の違いに由来する小さな誤差にとどまります。
高温側で \(K_p\) が室温付近(298 Kで0.148)に比べて大幅に増大することから、温度上昇によって平衡がNO₂側へ大きく移動することが定量的に確認できます。
また \(\Delta G^\circ(298\text{K})\approx4.7~\text{kJ/mol}\) とわずかに正であり、298 K付近では平衡がやや反応物側に偏っていることが分かります。
これは \(\Delta S^\circ>0\) の効果が高温ほど強く効き、\(T\Delta S^\circ\) 項が \(\Delta H^\circ\) を上回ることで生成物側優勢へ転じる、この系の特徴的な温度依存性を反映しています。
まとめ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ファントホッフの式 | \(\ln K_p = -\Delta H^\circ/(RT) + \Delta S^\circ/R\) |
| 傾きの意味 | \(-\Delta H^\circ/R\)(反応エンタルピーを与える) |
| 切片の意味 | \(\Delta S^\circ/R\)(反応エントロピーを与える) |
| 積分形の式 | 2温度間の \(K_p\) の比から \(\Delta H^\circ\) を求める、または外挿に利用 |
| 本問での結果 | 吸熱反応(\(\Delta H^\circ>0\))で、高温ほど生成物側に平衡が移動 |
補足
四酸化二窒素とは
四酸化二窒素(\(\text{N}_2\text{O}_4\))は、窒素の酸化物の一つで、常温・常圧では無色〜淡黄色の気体として存在します。
二酸化窒素(\(\text{NO}_2\))が二量化することで生成し、次のような解離平衡の関係にあります。
\[\text{N}_2\text{O}_4(g) \rightleftharpoons 2\text{NO}_2(g)\]
\(\text{NO}_2\) は赤褐色で不対電子を持つラジカル分子であるのに対し、\(\text{N}_2\text{O}_4\) は2つの\(\text{NO}_2\)がN–N結合で結びついた反磁性の分子です。
この解離反応は吸熱的であり、平衡定数 \(K_p\)(分圧を用いた平衡定数、標準圧 \(p^\circ\) に対する各成分の分圧比で定義される無次元量)は温度 \(T\) の上昇とともに増大し、高温では気体の色がより濃い赤褐色に変化することで、平衡が \(\text{NO}_2\) 側にシフトしたことを目視でも確認できます。
この性質から、\(\text{N}_2\text{O}_4\)/\(\text{NO}_2\) 系は化学平衡や熱力学の教材として広く用いられます。
解離平衡とは
解離平衡とは、1つの分子が2つ以上の粒子(分子やイオンなど)に分かれる反応が、逆反応(結合反応)と釣り合って平衡状態に達している状態を指します。一般的な解離反応
\[\text{AB} \rightleftharpoons \text{A} + \text{B}\]
において、平衡定数 \(K\) は各成分の濃度(または分圧)を用いて
\[K = \frac{[\text{A}][\text{B}]}{[\text{AB}]}\]
と表されます。ここで \([\text{A}],[\text{B}],[\text{AB}]\) は平衡状態における各成分の濃度(単位 mol/L、気相反応では分圧を用いる)です。
解離の進行度合いを表す量として解離度 \(\alpha\)(0以上1以下の無次元量、元の分子のうち解離した割合)がしばしば用いられます。
初濃度を \(C_0\) とすると、平衡時の各成分の濃度は解離した分 \(C_0\alpha\)、未解離のまま残る分 \(C_0(1-\alpha)\) のように表すことができ、これを平衡定数の式に代入することで \(K\) と \(\alpha\) を結びつける関係式が得られます。
解離反応は一般に吸熱的な場合が多く、温度が上がるほど平衡定数が増大し、解離度も大きくなる傾向があります。
圧平衡定数とは
圧平衡定数 \(K_p\) とは、気相反応が平衡状態にあるとき、各成分の分圧を用いて表した平衡定数です。一般の気相反応
\[aA(g) + bB(g) \rightleftharpoons cC(g) + dD(g)\]
に対して、
\[K_p = \frac{(p_C/p^\circ)^c\,(p_D/p^\circ)^d}{(p_A/p^\circ)^a\,(p_B/p^\circ)^b}\]
と定義されます。ここで \(p_A, p_B, p_C, p_D\) は平衡状態における各成分の分圧(単位 Pa や bar)、\(a,b,c,d\) は化学量論係数、\(p^\circ\) は標準圧(通常 1 bar)です。
各分圧を標準圧で割ることで、\(K_p\) は無次元量として定義されます。
\(K_p\) は温度のみの関数であり、圧力や濃度を変化させても(\(T\)が一定である限り)値は変わりません。
この性質により、標準反応ギブズエネルギー \(\Delta G^\circ = -RT\ln K_p\) や、ファントホッフの式による温度依存性の解析において、\(K_p\) は理論と実験を結びつける中心的な量として扱われます。
ファントホッフの式とは
ファントホッフの式とは、化学平衡定数 \(K\) が温度 \(T\)(単位 K)によってどのように変化するかを表す関係式です。微分形では
\[\frac{d\ln K}{dT} = \frac{\Delta H^\circ}{RT^2}\]
と表されます。ここで \(K\) は平衡定数(無次元)、\(\Delta H^\circ\) は標準反応エンタルピー(単位 J/mol)、\(R\) は気体定数(単位 J/(mol·K))です。
\(\Delta H^\circ\) を温度によらず一定とみなして積分すると、
\[\ln K = -\frac{\Delta H^\circ}{R}\cdot\frac{1}{T} + \frac{\Delta S^\circ}{R}\]
という一次関数の形が得られます。ここで \(\Delta S^\circ\) は標準反応エントロピー(単位 J/(mol·K))です。
この式は、\(\ln K\) を \(1/T\) に対してプロットしたときの傾きが \(-\Delta H^\circ/R\)、切片が \(\Delta S^\circ/R\) になることを意味しており、実験で得た複数温度の \(K\) の値から \(\Delta H^\circ\) と \(\Delta S^\circ\) を決定する際に用いられます。
ファントホッフプロットとは
ファントホッフプロットとは、化学平衡定数の温度依存性を表すファントホッフの式
\[\ln K = -\frac{\Delta H^\circ}{R}\cdot\frac{1}{T} + \frac{\Delta S^\circ}{R}\]
に基づき、複数の温度で測定した平衡定数 \(K\) の対数 \(\ln K\) を、絶対温度の逆数 \(1/T\)(単位 K⁻¹)に対してプロットしたグラフのことです。ここで \(\Delta H^\circ\) は標準反応エンタルピー(単位 J/mol)、\(\Delta S^\circ\) は標準反応エントロピー(単位 J/(mol·K))、\(R\) は気体定数(単位 J/(mol·K))です。
この式は \(1/T\) を変数とする一次関数の形をしているため、プロットした点がほぼ直線上に並べば、その傾きから \(-\Delta H^\circ/R\) を、切片から \(\Delta S^\circ/R\) を読み取ることができます。
実験的に得られた複数温度の \(K\) の値だけから、直接測定が難しい \(\Delta H^\circ\) や \(\Delta S^\circ\) を求められる点が、このプロットの実用上の利点です。
また、プロットが直線から外れる場合は、\(\Delta H^\circ\) が温度に依存している(すなわち \(\Delta C_p\neq0\))ことを示す手がかりにもなります。
ギブズエネルギーとは
ギブズエネルギー \(G\)(ギブズ自由エネルギーとも呼ばれる)は、定温・定圧条件下で系がどれだけ有効な仕事を取り出せるか、また反応が自発的に進行するかどうかを判定するための熱力学的な状態量です。定義式は
\[G = H - TS\]
と表されます。ここで \(H\) はエンタルピー(単位 J)、\(T\) は絶対温度(単位 K)、\(S\) はエントロピー(系の乱雑さを表す状態量、単位 J/K)です。
化学反応の進行に伴うギブズエネルギーの変化 \(\Delta G\) は、
\[\Delta G = \Delta H - T\Delta S\]
で与えられ、\(\Delta G < 0\) のとき反応は自発的に進行し、\(\Delta G > 0\) のときは非自発的(逆反応が自発的)、\(\Delta G = 0\) のときは平衡状態にあると判定されます。
標準状態における値 \(\Delta G^\circ\) は、平衡定数 \(K\) と \(\Delta G^\circ = -RT\ln K\)(\(R\)は気体定数)の関係で結びついており、熱力学と化学平衡をつなぐ中心的な量として扱われます。
以上です。

